あるところの路地裏―――。

そこがアルゴルの住処であり、狩場であった。

路地裏中に張られた巣に獲物がかかるのを待ち、食す。

アルゴルの牙は、リヴリー、モンスター問わずに向けられる。

それを恐れているのか、この周辺にはあまり人が立ち寄らない。

その為、最近ではアルゴル自身が住処から出向いて狩りに行く事が増えていた。





「はぁーあ…折角人が出向いてるってのに、今日のはハズレだったなぁチクショー。」





今日の収穫は男のモンスター。

柔らかくも無く、次いで男だという点ではアルゴルの好みに全く当て嵌まらないのだ。

勿論我儘を言っていられる状態では無かったので遠慮無く食べてしまったのだが。

多少の不満を抱きつつ、愛用の釘バットを抱え直す。

そうして自らの住居に帰ったアルゴルは不思議な光景に出くわした。





「おにいさんけがしてるの?」

「…あ?」





妙に幼い声に訝しがるアルゴルの目の前に現れたのは、年端もいかないミツバチの少女。

小さく白く細い少女の体はアルゴル好みに充分当て嵌まる。

思わず喉を鳴らすアルゴルに気付いていないのだろう。

少女は足早に近寄り、アルゴルの腕を指差した。





「ほら、ここあかくなってるもの!」

「お?…ああ、みてぇだな。」





指差された場所を確認すると、肘の辺りが赤く腫れているのが分かる。

恐らく狩りの途中でぶつけでもしたのだろうと思い、アルゴルは腕を振る。

そのあまりにも適当な傷の扱いに少女が慌ててアルゴルに向かって叫ぶ。





「だめだよ!ちゃんとちりょうしないと!」

「あーいいってこれ位慣れてるし…それよりさぁお前、今一人なのか?」

「うん。ここにはメルケしかいないよ。それより!ちゃんとてあてしないとだめなの!」

「大丈夫だって言ってんだろ。そうか、メルケは今一人なのかぁ。」





自分の足元で喚くメルケを見つめ、アルゴルはニヤリと笑う。

見るからにか弱い少女が何故こんな物騒な路地裏を歩いていたのかは分からない。

だがアルゴルにとって明かなるチャンスなのは間違いなかった。

目の前にご馳走をちらつかされて我慢できるほど、アルゴルは忍耐強い男ではないからだ。






「それなら俺と一緒に来ないか?」





メルケを捕食するため、バットを抱えていない方の手をゆっくりと伸ばしたアルゴルの手を、メルケが両手で掴む。

目を瞬くアルゴルを他所に、メルケが真剣な表情でその手を引いた。





「おにいちゃん、メルがしんりょうじょにつれてってあげる!」

「お、おい待てお前どこに行く気だ?」

「しんりょうじょ!おにいさんのほかにもたくさんかんじゃさんがいるの。そこでてあてしよう?」

「だから俺は…」





そんなつもりはない。そう言いかけてアルゴルは口を噤んだ。

診療所ということはメルケの言う通り患者が大勢いる場所の事。

それはつまり弱った獲物が密集しているという事に加え、労をせずして全てを手に入れる事ができるという事に繋がるのではないだろうか。

アルゴルはそこまで考えて、今メルケを前にしている以上の高ぶりを感じ、不敵な笑みを浮かべた。





「そうかそうか。メルケがそこまで言うならちゃんと手当しないとな。」

「うん!メルがあんないするから、おにいちゃんはちゃんとついてきてね!」

「ああ。任せたぜ。」





先程と打って変わった態度のアルゴルに気付かないのだろう。

本当に嬉しそうな顔でアルゴルの手を引くメルケは彼を振り返った。





「そういえばおにいさんはなんていうおなまえなの?メルはね、」

「メルケだろ?お前さっきから自分で言ってたぜ。」

「あれ…そうだっけ?」

「はぁ、ったくしっかりしろよ。俺はアルゴル。好きに呼べよ。」

「はーい!アルゴルおにいちゃんよろしくね!!」





無邪気過ぎるメルケの笑顔に、何と無く胸の中がもやもやする。

しかしアルゴルは頭を振る事でその思考を打ち消した。

釘バットを抱えた強面の青年と、その手を引く可憐な少女。

どの場所にもそぐわなそうな組み合わせの2人は、手を繋いだままその場から立ち去った。





*   *   *





「(さっきから付けられてるみてぇだな。)」





相変わらずメルケに手を引かれたまま歩くアルゴルは眉間に皺を寄せた。

随分と歩いているが通常の道を通り抜け、足を踏み入れたのは懐かしい場所。

そう、メルケが向かっている診療所とやらは怪物の森に存在していたのだ。

当初の予定では弱り切ったリヴリーが密集している診療所を想像していた。

だが考えてみればメルケは幼いといえどもモンスターに部類される。

とくれば、当然メルケの紹介する診療所もモンスターしかいないのだろう。

それでいてこの怪物の森。

常に飢えたモンスター達がうろついているこの森では、子供連れの自分が狙われるのも無理はない。

ほんの少し自分の短絡的な考えに苛立ったアルゴルだったが、今はそんな事をしている場合ではないのだ。

アルゴルは抱えていた釘バットを握り直すと、大声を張り上げた。





「いつまでもコソコソしてねぇでかかって来いよ!!」

「え?」





突然の大声にメルケが振り返ると同時に、茂みの奥から2つの影が飛び出して来る。





「ふぁっ…!」

「静かにしてろ」





ぎぃぎぃと耳障りな鳴き声を奏でながら迫り来るのは2匹のオオカマキリ。

不規則に両手の鎌を動かす様は、一般人なら恐ろしさに腰を抜かしてしまう程だ。

しかしそこは百戦錬磨のアルゴルである。

自分よりも大きなモンスターを目の前にして湧いてくるのは、恐怖等では無く純粋な喜び。

相手が2体とは言え今の苛立ちをぶつけるのには丁度良い相手と判断したのだ。

いざ攻撃と釘バットを構えた瞬間、アルゴルはある事に気付く。





「(あのガキどこに行きやがった!?)」





オオカマキリの出現に小さく悲鳴を上げたメルケが居なくなっている。

どこに消えたのかと視線を回らすアルゴルの耳に微かな声が届いた。





「メルはかくれてるから!アルゴルおにいちゃんはにげて!」





それはかなり小さな声で、アルゴルですら聞き取るのがやっとだった。

戦いが始まるや否や身を隠し、声も最小限に抑える。

敵から見つかり難くする為に気配を隠し、更に同行者の戦闘の邪魔にならない様に姿も隠す。

幼いながらに随分と守られ慣れた行動にアルゴルは驚き、肩を竦めた。





「逃げる?そりゃどういう事だ。…こんなに暴れやすいってのによ。」





現れた2匹のモンスターは姿を消したメルケを探す様に首を動かしている。

確かに自分よりはメルケの方が襲いやすく、味も期待できるだろう。





「ま、こっちには好都合なんだけどなッ!」





アルゴルは糸を作り出し、2匹を一纏めに捕らえた。

体に纏わり付く糸に暴れ出そうとするオオカマキリ目がけて勢いよく釘バットを振り下ろす。

鈍い打撲音と共に地に倒れ伏す片方に、もう一方のオオカマキリが慌てた様に暴れ始めた。

それでもアルゴルの糸の強靭さには歯が立たないのか、既に動きが鈍り始めている。

アルゴルはそんなオオカマキリの様子を軽い嘲笑で一蹴すると、横薙ぎに頭部を叩きつける。





「なんだ案外あっけねぇな。まぁ何にせよ俺に喧嘩を売ったのが間違いだったな。」

「だ、だめーッ!!!」

「な!?お前!」





オオカマキリに止めを刺そうとするアルゴルの腰にメルケが飛び付いた。

若干前のめりになったアルゴルは舌打ちをしつつ、体を横に倒す。

その時咄嗟にメルケを庇う様な体勢になった事にアルゴルは気付いていない。

2人のすぐ側を死に物狂いのオオカマキリの鎌が通り抜ける。

アルゴルは未だしがみ付いたままのメルケに向かって声を張り上げた。





「ったく何してんだ!もう少しで死んでただろうが!!」

「でもだめだもん!そうやってころしちゃだめなの!」

「んな事言ってる場合じゃねぇっつの!」





言いながらアルゴルが振り向けば、丁度オオカマキリの鎌が真上に迫って来ていた。

手から滑り落ちてしまったのであろう。釘バットはかなり遠くに放られている。

万事休す。あまりにらしくない終わり方にアルゴルは乾いた笑みを張り付け、目を閉じた。





「メルケ。そんな所で何をしている。」





いつまでもやってこない衝撃と、男の声。

不審さに顔を上げたアルゴルの頭上でオオカマキリの鎌は停止しており、隣にいたメルケが目を輝かせた。





「ヴェルニコフ!」





メルケの声と周囲の状況を確認して、ヴェルニコフは頷く。




「事情は大体分かった。すまないがこの人達を傷付けるのは止してくれ。」

「ヴェルニコフ、オオカマキリさんたちはけがをしているの。」

「仕方ねぇだろ。死活問題だったんだぞ…。」





まるで自分が悪い事をしてしまったかのような罪悪感に苛まれるのは初めてである。

アルゴルは頭を掻きながら小声で反論した。

介入者の名前はヴェルニコフ。アルゴルにもその名前は聞き覚えがあった。

モンスターでありながらリヴリーと同じ/cureの技を使いこなす男だと。

そして診療所にはこの男を含める強者が揃っている事もだ。

例えアルゴル自身がそれなりに強くても、それではかなり面倒な事になるのは必須。

診療所で暴れる事は最早叶わない夢となってしまった。

だとしたら自分はなんという無駄な行為をやってしまったのだろうか。

額に手を当てて天を仰ぐアルゴルの様は、今まで数多くのリヴリーやモンスターを狩ってきた男とは思えない程弱々しかった。





「ときに聴くが、アナタは一体…」

「名前はアルゴルだ。詳しい事は聴かないくれ。」

「?ああ」





いつの間にか話をつけたのだろう。オオカマキリは姿を消し、その場には3人しかいなかった。

こちらを窺う様な視線ですら煩わしいとばかりに首を振るアルゴルを気遣ってかヴェルニコフが曖昧に頷く。

そのヴェルニコフの裾をメルケが引っ張って促す。





「ねぇねぇ、アルゴルおにいちゃんのけがも
なおしてあげて!」

「怪我?…ふむ、そうか。では腕を見せて貰おうか。」





アルゴルの了承も得ぬままに、患部に当てられたヴェルニコフの手の平から淡い光が零れる。

すぅっと光が傷に浸透し、手を離した時にはもう傷は存在していなかった。

初めてみるその技に目を奪われているアルゴルの肩を叩き、ヴェルニコフは踵を返した。




「これで問題は無い。では帰路も気を付けてな。」

「ばいばいアルゴルおにいちゃん!まもってくれてありがとう!」




なんとなく複雑な気持ちになりながらも、アルゴルは無言で2人の背中を見送る。





「…あーあーホンっトに今日はついてねぇや…。」




ヴェルニコフの後を走って追いかけるメルケを見送り、アルゴルは深く溜息をついた。

間違いなく、今日はアルゴルの生きて来た中で最も疲れた日になっただろう、と。



藍鉄鋼様より戴きました