「獣臭い人間と話す気はないよ」

森を抜けて、見渡す限りの薔薇が咲き誇る屋敷へと案内するや否や、青年は俺にいった。
此処は薔薇の森にある屋敷、とでも言えばいいのだろうか。兎に角、そんな感じだった。
彼は召使であろう人型の何かを呼び付けて、無理矢理風呂場に押し入れられた。
久々の人間らしい行為に、自分はまだ狼ではなかったのだと、何故か少しだけ安心した。
短かったはずの髪はいつの間にか伸びて、湯が当たると真っ赤に染まった。

「服は此処においておくからね。
ちゃんと隅々まで洗ってから出てくること。
お風呂くらい入ったことあるでしょ?」

洗面所から、先程の青年の声が聞こえてきて、後から扉が閉まる音がした。
此処まで親切にされてしまうと、もしかすると、彼は、研究所にいた奴らと同じような人間なのかもしれない。
そんな疑問まで浮かんできた。
むしろ、そちらの方が自然なのかもしれない。俺はなんて迂闊な行動をしてしまったのだろう。
とは言え、このまま逃げてしまうのも些か惜しい気がした。何かあればまた、あの時のようにやってしまえばいいのだ。
そう自分に言い聞かせて、警戒しながら風呂場を出た。

洗面所は、奇妙なほど静かだった。
銃をもった人間も、ましてやあの白い奴らもいなかった。
かわりに少しだけ小さい気がする服が、置いてあるだけだった。
怪しげなものはないのかと探ってみるけれど、探れば探るほど、警戒していたこちらが馬鹿馬鹿しくなるだけだった。
と、そこに、近くから森で嗅いだ紅茶と薔薇と…鉄が混じったかおりがした。

「早かったね、狼さん」
「俺には狼さんじゃなくて、十六夜って名前なんだけどな。」
「それは申し訳なかったね。十六夜
俺はHoly、だよ。好きに呼んで貰って構わないからね」

彼は、にこり、と人が良さそうな笑みを浮かべると、甘いかおりがする方へ足を向けた。

「ついてきて」

多少警戒しながら彼についていくと、そこには色とりどりの薔薇の花が咲く庭があった。
なるほど、この屋敷は薔薇に囲まれている上に、庭にバラ園もあるらしい。

「そこに、座って?」
「あ、あぁ…」

そこに申し訳程度に作られた、白いテーブルと椅子。
シンプルな作りではあるものの、気品が溢れていた。なるほど、これは高価なものらしい。
座っていると、風にのって、美味しそうなかおりが運ばれてきた。

「食べなよ。お腹空いてるんでしょ?
…大丈夫、きみの身体に異常を来すようなもの何も入ってないよ」

俺の目の前で美味しそうなショートケーキをぱくり、と一口食べたHolyは、ほらね?と言った。
まず、今の俺の身体に害を及ぼせるほどの毒がどの程度のものなのかは皆目検討がつかないが、今までの勘から言って多少の量や威力では効かないはずだ。
ある程度摂取しても問題はないだろう、と高を括って、目の前のオムライスに手を付けた。
一口、口にいれてしまうと今まで忘れていたように空腹が押し寄せてきて、食べることに没頭してしまっていた。
久々の人間らしい食事に、心なしか喜びを感じていた。

次から次へと運ばれていた、テーブルを埋め尽くしていた飯が、ようやく無くなってきた頃、俺の腹もいっぱいになってきた。
相変わらず、俺の前に座っているHolyは、俺が食べはじめた頃と同じ速度で淡々と糖分の摂取をしていた。

「十六夜もどう?美味しいよ?」

呆気にとられてみていたら、彼と目があった。どうやら俺が欲しがっている判断したらしい。

「いや、遠慮させて貰おうかな。
甘いものはどうも苦手だ」
「そう、残念」
「それよりも、申し訳ないけど俺はそろそろお暇させて戴こうかな」
「あ、うん…また何処かで」

Holyは、飲んでいた紅茶を優雅にソーサーに置いた。
彼の金髪がきらきらと輝く夕日に照らされて、少し眩しい。

「ありがとう、ご飯、美味しかった」
「うん、さようなら。お元気で」
「ははは…化け物にそんなこというのは君くらいだよ」
「人扱いしちゃダメだったかな?狼さん」
「本当に変わり者だね。」
「…あ、そうだ、行き先が決まってないなら、東にいくといいよ。
きみみたいな人がいっぱいいるからさ。」
「そうか」
「ばいばい」
「さようなら」

足触りのよい、手入れの行き届いた芝を踏み締めて、彼の言った東側に行ってみようか。
人の言うことなんて全く信じない人生を送ってきたけれど、久々に聞いてみるのもいいかもしれない。
本当に、今日は珍しい日だと思った。
そういえば、東に何があるのか聞いていなかった。俺みたいな奴がたくさんいるとはどういうことだったんだろうか。
その疑問も、言ってみればいずれわかることだ。

慣れ親しんだ四足歩行で、夜が近い、冷たい風をきると、背後から随分と嗅ぎなれてしまった、薔薇と紅茶のかおりがした。





めましてとよならと
(どうしたのさ十六夜、ぼーっとして。)
(…あぁ、ちょっと、ね。ホリィと会った頃を思い出しただけだよ)
(昔のことをそうやって振り返るなんて、十六夜もそろそろ歳だね)